では、ないんだけれど、雑草について少し書いてみたいと思います。

我が家の庭は、雑草が伸び放題、見方によったら荒れ放題。
お庭屋さんなのに、自宅の庭の見栄えがあまり綺麗とはいえない状態はどうなの?との意見もあるかもしれませんが、私自身、この状況を一つの楽しみとして植物たちに我が家を開放しているのです。
東京から全く縁もゆかりもない南足柄に引っ越してきて、この土地のことを知っていきたいなと思い、考え…何を思ったのか自宅の庭にはどんな植物がいるんだろうかと、この春から観察することにしたのです。

冬に引っ越してきたのでわからなかったのですが、綺麗に刈ってしまえば一面芝生になる我が家の庭には、たくさんの植物たちが根を下ろしていたのです。
きっと観察していなかったら気づけなかったことだと思います。






朝の何時頃はまだ花が開いてなくて、陽が登ってきたら開き夕方になると閉じ、また翌朝花開くものもいたりして、名前も知らない雑草なのに、最初見つけた時は「なんだこれ」から始まり、「あ、こんな花咲くのか」「夕方には閉じる子なのか」「こんな風に一生を終えていくのか」とか毎日発見がある。
付き合う前の相手を知っていく楽しみ、みたいな嬉しさに似たものを感じます。
普段だったら除草してしまうようなドクダミも、いい画角はどこだろうと探す楽しい時間を提供してくれる。

また、雑草だとしても植物は植物なわけで、当たり前ですがそれに集まる虫や鳥もいて生態系の豊かさに本当に毎日が新しい発見で、雑草を刈らない選択は正解だったと思います。
雑草や野鳥、虫の名前はわからないけど、それでもよくて、「その子がどんな子なのかをみる」というだけ、それだけでも充足感を覚えるのです。

最後に、タイトルの通りに締めるとするなら…
最近観た「魯山人のかまど」というドラマで、魯山人がロックフェラー夫妻をもてなすシーンがあります。
その中で「日日是好日」という言葉で夫妻をお迎えします。
雑草を綺麗に刈り取ってしまうことなんて、庭屋の私にとっては簡単なことです。
ですが、草一本花一本をみつめている時間の充足感は「綺麗さ」からは得られないでしょう。
とは言っても、荒れ果てた庭では見窄らしいので、程よく、雑草を残してみてもいいのではないでしょうか。
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